*放送地域でないのと、仕事の時間中だったので、部分的にしか聞けなかったのですが、(雑音も入ってなかなか聞き取れない部分もありました)聞こえたところを書きます。耳で聞いた範囲でこのようなことを言われていた、ということだけお伝えします。(細かいところはまちがっているかもしれません。もし気づかれた方は訂正をお願いします。)TBSラジオではス−パ−ギャングという錦織さんがDJのラジオ番組をしばらくやっていて、「ス−パ−ギャングからもう10年ですか。」とにっきさんと司会二人の3人で感慨深げに言っていました。エドの舞踏会については、番組のなかほどで、にっきさんがナレ−タ−のように、やっている期間、どこの劇場か、などを淡々と話していました。(お稽古中の裏話などは、なし)。毎年夏は青山劇場でプレゾンというミュ−ジカルをやっている、という話で、司会の大沢さん「どうですか、毎年やっていて。」錦織さん「そうですね、毎年のことなので、年中行事のようになっていて、夏になったら青山劇場で舞台をやるのが当たり前、というようになっています。第一回目から、毎年毎年見続けてくれる人もいて、そういうずっときてくれている人に支えられてやっている。そんなファンの人たちの中には、お子さんがもう高校生ぐらいになっている人もいて、親子できてくれる。高校生ぐらいの娘さんは、僕らと一緒に出ているジャニ−ズジュニアのファンで、お母さんはぼくらをみにきてくれている、というようなこともある。でもそんな親子の人たちも、みんな(むすめさんたちも)マナ−よく見てくれるんですよ。(うれしそうに)僕らは、やはり、お客さんありき、なので、毎年毎年みにきてくれる人がいて、やっています。」→大沢さん「そうですよね。なんでもそうですけど、続くっていうこと自体ずっとお客さんがいてのことですね。(しみじみ。」・プレゾンの話の続き長く続けているとはいっても、年齢とともに、ダンスをしていても、前とちがうなと思うところは出てきた。20代の頃は、自分で自分のことをス−パ−マンではないかと思うほど、エネルギ−が体にみなぎっていたが、30代になって、自然と自分で自分の体を気遣いながら踊るようになった。だからといって、30代になって、みなぎるものがなくなった、というわけではないんですけど。ぼくは一度腰を壊しまして、それから、踊りにも腰を気遣って動きをするようになった、でもそれがかえって、(腰をいためてから)踊るとき背筋が伸びているようになった、とよい風にみられるようになったこともあり、また、年齢を経て、若い10代20代のころにはできなかった、肩の力の抜けた、踊り方ができるようになったりした面もある。・事務所に入ったいきさつについて・・・ぼくは小学校6年生のときに、なにがなんだか自分でもわからないうちに、姉が事務所に写真を送って、リハ−サルに呼ばれて、ジャニ−さんに会って踊りの稽古をするようになった。最初に会ったとき、なにがなんだかわからずにリハ−サル室にいたら、ジャニ−さんが「YOU,YOU・・・YOU、踊っちゃいなよ。」って「ゆうゆうワイド と一緒で ユウユウ、って。」(大沢さんたち笑)言って、レッスンにかようようになった。リスナ−からのおたよりで「わたしは錦織さんが大河ドラマ「峠の群像」に清水一学役で、出ていたころに、代々木の青少年記念センタ−に、殺陣の稽古にいっていたのですが、そのとき錦織さん、東山さんもきていて、”ちょっと馬のようになって動かないで”と言われてかたまった体勢でいたら、錦織さん東山さんが、跳び箱みたいに自分の上をとびこえていったことがありました。(あの二人に飛び越えてもらった、というのが驚きです)」→司会の女の人たち「オリンピック記念の代々木青少年センタ−って、ありましたね。」→にっきさん「ぼくとヒガシは何曜日だったかな、殺陣の稽古に通っていました。 今度のエドの舞踏会も、うれしいことに、殺陣の場面があるんですよ。」司会の人たち「少年隊という名前は変えないんですか。」→錦織さん「一時期変えるという話もありましたけれども、外国にも○○Boys という名前もありますし、今はもう慣れてなんとも思わないです。このままでいきます。」
*いったんコ−ナ−が終わってしまったので、エドの舞踏会のことについて、など聞けたらよかったなぁ、と思いながら、とりあえず仕事に戻ったら、そのあと違うコ−ナ−をはさんで再びにっきさんと大沢さん、陣内さんのお話が続いていました。(スイッチを切らなくてよかった・・・。笑)
大沢悠里のゆうゆうワイド 番組HPにも、錦織さんゲストの番組内容を、UPしてくださっています。http://tbsradio.cocolog-nifty.com/yuyu/後半で、明治座「エドの舞踏会」についてや錦織さんがいろいろな仕事の中で芝居が好きだ、というお話などいろいろ聞かせてくださっていました。大沢悠里さんも芝居好きだそうで、「芝居によっては、稽古を通じて、演じている人たちだけがもりあがって客席の人からは、作品がいまひとつわからない、ような 場合もあるが、石井ふく子さんの舞台は、わかりやすいですね。」と言われていてにっきさんも「今回演出家としての石井ふく子さんの作品は初めてだったのですが、プロデュ−サ−としてもすごいけど、演出がわかりやすいし、ふつうのお芝居でもエンタ−テインメント性を(演出によって)出すことができるんだと知った。スピ−ディ−な展開で、自分の(役者としての)生理に合わない演出をされる部分もあったけれど、(僭越ながら、と遠慮しながら言われる錦織さん)ここは動いたほうがいいのでは、と思うところを、そこは止まって言って、とたとえば言われたところは、できあがってみると、やはり石井さんの演出どおりの動きのほうがよかったよ、と観ていた人から言われた。演出家というのは、その人なりのエゴがあったほうが、観ていてよいものができる。」というような話をされていました。また、時間をみつけて聞こえたところをレポ−トします。
内容は、同じ局で2月19日のAM(夜中)に放送されたMAKOTOの紹介番組と一緒でした。(最後の視聴者への本のプレゼント Noriyuki Higashiyama Talking in MAKOTOが入ったり、(2/19),今回MAKOTOの公式サイトで募集した、「伝えたい思い」の入選作品に、曲がついて、Ryuさんが歌うことになった、というその発表もやっていました。江原啓之さんを迎えてすこし話して、MAKOTOの映画の場面も流して、映画を紹介する、というほとんどの内容は2/19と一緒でした。江原さん「今までいろいろな霊の出る映画をみましたが、霊というのが、今生きているわたしたちと一緒で、おむつを替えてもらって、愛してくれる人がいて存在したのに、死んだあと、それが無視されて、ただこわい、とか奇妙な存在としてえがかれていないのが残念だった。今回のMAKOTOは、みた人すべてが人生観がかわると思う。霊というのは、たとえば今生きている人が突然死んでしまったとして、だれかに言いたいことをもっていない、ということはないと思う。かならず死ぬけれどこの人にこれは言っておきたい、というのがある。だから、死んですぐ(あの世へ)いかず、少しの間はだれでもこの世で、生きていたときの思い出深い場所にいって、なつかしんだり、一番身近で愛する人のところへいってメッセージを伝えようとしたりする。あまりに家族が悲しんでいると、自分は前向きに楽しく生きてほしい、と思う。」と話していました。最初は日本テレビのアナウンサーが日本テレビのロビーを歩きながら「あなたは霊を信じますか。」というといかけをして始まり、局スタッフの「日本テレビの美術倉庫でみたという人がいる。、あそこは出るらしい。」というようなことを話したりして進みました。ひがしくんと室井滋さんが、都内のホテルに1月2日に江原啓之さんを迎えて会談し(会談の模様はごく一部しか流れませんでした。)室井さんは、派手めのピンクの服装をしてきて、「今日は江原さんと会うので、オーラがない(ひがしくんとならんで)と言われたらどうしようと思って、オーラの出そうな色の服を着てきた。」と言って笑っていました。室井さんは、以前、夜中にロケ場所を移動するときに、次にまだ撮影が残っているので、移動の間に車の中で寝てください、と付いている人から言われたことがあって、自分でも眠たいので、車に乗りながら寝ようとしたら、耳元で男の人の声ではっきりと「寝るな。」という声がして、なんだろう、と思って、お付きの人に「今寝ないと次のロケ地で撮影があって寝られないから寝てください。」と怒られながらも起きていたら、そのあと運転手の居眠りでその車はトラックにつっこんで、フロントガラスが割れて(でも乗っていた人たちはみんな無事でした。)室井さんもガラスの破片をかぶったが無事だった。「でも寝ていたらわたしは死んでいたかもしれない。」という体験を話していました。それを聞いていた江原さんは、前とめつきがかわって鋭くなって「それは室井さんのお父さんがどんなときもいつでも室井さんを見守っていて、忠告してくれていたんです。」と言っていました。江原さんは、映画中の真言と同じく、日常いつでも、そこここに、死者がふつうにいるのがみえるそうです。ヒガシ君の霊体験についても、江原さんは質問しましたが、。ヒガシ君「ぼくは、ほとんどそういう経験がないです。まったくないです。メンバーのこともわからないし。」と言っていました。(室井さんと江原さん・笑。)でも、江原さんは「ひがしくんにはひがしくんのおじいさんがいつもついていて、ひがしくんに期待している。”東山家の希望”と言っている。”東山家の男の人は、思うことをなしとげられないできてしまった人ばかりだったので、その人たちの分もふくめて、ひがしくんに東山家の期待をかけている。」ということを言っていました。映画の場面場面も流れて、初日の舞台あいさつの模様も少しだけ流れていました。和久井映美さんは「(この映画に出て)出てほしい出てほしくない、は別として、死んだ人が現れても、その伝えたいこと、をうけとめる気持ちの準備ができた気がする。でも、できれば出てほしくない。」と話していました。映画の初日(丸の内ピカデリー)は、映画が終わったあと、室井さんが自分でカメラをもって映画館ロビーを歩く人にインタビューしていました。年配のおばさんが「よかった」という感動した表情で感想を言い、小学生くらいの女の子に「どうだった?」と室井さんが聞くと「楽しかった。霊がふつうに出てきた!」とうれしそうに言っていたので室井さんは「楽しかった?これ、楽しい映画?」とつっこみを入れていました。通路の椅子にすわっていた和久井さんにもカメラを向けて霊体験をきいたのですが、和久井さんは「(霊体験は)まったくありません。」と答えていました。ロビーにいる人で「霊体験のある人」と室井さんが聞くと、一人の若い男の人が手をあげ、「家で寝ていて、起きたら、となりに白い服を着た女の人が正座していた。(吊れの人にうそだ、と言われて)ほんとだよ!」と言っていました。MAKOTO の中で、監督は、”銀残し”という、白黒映画とカラー映画の中間のようなモノトーンの場面を(雪の降る場面や花火の場面)をつくったそうなのですが、「”銀残し”にすると、明るいところ、暗いところに映像がはっきりとみえなくなってしまうため、みえるようにするために、照明の度合いを微妙に調整して撮っていったため、ワンカットに2〜3時間照明調整の時間をとることもあった。このせいで、出演者のみなさん、ひがしくんには(長く待たせてしまって)非常に迷惑をかけました。」と言っていました。
日本テレビ様日本テレビ映画「MAKOTO」の番組には、関係ありませんが少し書き込みさせてください。現在テレビなどでは霊能者ブームですが、見ている方は、「何かあるのだろうか」とか「そんな馬鹿なことがあるのだろうか」とか結局は主観的な推測の域を出ないような気がします。これは「霊又は霊魂」を科学的測定機器で検知できないからにすぎず。霊魂が存在するといっても、宗教上話でもなんでもないのです。最近は海外の多くの科学者が多数の「臨死体験」や「子供の前世記憶」などを研究し、統計的手法で霊魂の存在を証明しつつあります。私は一級建築士として30数年前より数多くの建築、建設にたずさわる傍ら、土地・空間による様々な現象実体験ふまえ、土地や空間が人体に及ぼす様々な、病気・霊現象等から、身を守るべくお手伝いしてる者です。私のやり方は、土地またはビル等の部屋、人体に憑いてる霊魂の御供養をします。やり方としては、御酒、御水又御茶御米、御塩等を使いますが、御酒等は紙パツクの使った6本1ケースと使わない1ケースとを、持ち比べたら使ったほうが重くなつてるのが解かります、このことは御水、御茶にもも同じことがおこります。この御供養した品物を暗い海に流しますと、この品物の中から大小様々な霊魂が海の中で「光」なつて見えます。大は1.5p、小は2〜3ミリまで海の中で動かれているのが解かります。このことは東京の方でも何人の方が実体験されております。「日本テレビの美術倉庫」もかなり、浮遊霊体がおられるみたいですね、はずしてあげましょうか?、この部屋は入られた時に重い空気を感じられますが、はずれると軽いさわやかな空氣になります。気に障られたら消去してください。
江原啓之さんみたいな霊との交信能力があれば、殺人事件の容疑者は即、逮捕されますね。また死んだ人のキャッシュカードの暗唱番号が分からないとき彼に交信してもらったら、暗唱番号が分かるわけですね。そんなこと出来るはずないとおもうのですが、みなさんのご意見をぜひお聞かせください。
FMの番組のため、AMとは少し違って、音楽を流している時間が長く、音響もFMっぽくとてもいいように感じました。DJの坂見さんと、アシスタントのAriaさんが、ダンサーということで、ダンスミュージックを紹介するのも番組のコンセプトのようです。錦織さんは、「ジャニーズ事務所の後輩で、ダンスのうまい人は?」というような質問に、「熊川哲也。・・・あ、うちの事務所じゃなかった。」と言ってから、(でも、そのすごさはわかるとのこと。坂見さんたちと納得されていました。熊川さんは、筋肉が床につきささるような踊りをしているそうです。)坂見さんは、錦織さんが今の仕事をするようになる前から、あこがれの人だったそうです。マッチのコンサートツアーについて、全国をまわっていたときに、コンサートが終わってから、スタッフの人が、あちこちその地方で有名なクラブに連れて行ってくれて、そこで、カリスマ的な存在だった坂見誠二さんのダンス映像を、見た。どのようにして、知り合いになったかを話すと、1時間ぐらいかかってしまうけれど、今回は割愛する。2年ほど前に、そのころまだ博多にいた坂見さんを、錦織さんが「東京に坂見さんが来たときだけ会っていたのではだめだ。」と思って、博多まで訪ねていったりして、知り合いになり、今では直接ダンスを教えてもらうようになったそうです。にっきさんの紹介で、今年プレゾンのあとにMAがやったライブの振付を、坂見さんがしてくださったそうなのですが、坂見さんは、直接MAに会うまで「ジャニーズの人たちはダンスは仕事だから、仕事として、(楽しみではなく)やっているんだろうな。」と思っていたけれど、実際会ってみたら、MAの目がきらきら輝いていて、ちまたのストリートダンサーの若者たちと変わりがなかった。(このことは坂見さん自身もうれしかったそう。)そのほか、錦織さんの今年の誕生日に、「君だけに」の振付を坂見さん振付の新しいバージョンでにっきさんが踊って(内輪の人に)披露したそうですが、錦織さん「ファンの人にみてもらえないのが残念だった。すごくいい振付だった。」とのことです。でも、誕生日に、この振付で踊ったため、誕生日付近は、筋肉痛にはなる、神経はすりへる、でそれなりにたいへんな日をすごしたそうです。それを聞いていた坂見さん「(錦織さんの)口も磨り減っていた。」にっきさんは坂見さんの、ダンスの中で手をあげる手の上げ方がすきなのだそう。ただ手をあげる、という振りでも、その人の持ち味で、ぜんぜんちがってくる。坂見さんの手のあげ方を見習いたい、というようなことを話していました。 また、視聴者からのおたより紹介「いつも、錦織さん以外のだれかが、踊っているのをみたりすると、”これが錦織さんだったら、もっとすてきに踊っているのに・・・。”と思う。」があり、それを聞いた錦織さんは「ぼくも、それ(人とはなにかがちがう、自分らしいダンス)を心がけている。」と言っていました。後輩のことを聞かれて、とくに期待している後輩は、(プレゾンなどにも出ていた)MAだそうです。MAは、錦織さんたち少年隊が以前「少年隊は、しっかりと基礎を(まじめに)やっているグループだ。」と業界の人からほめられたのと同じ、カラーがある、というようなことを話していました。番組は、1回30分で、収録だったそうですが、終わるとき、DJの坂見さんが「ニッキは、生放送だと、危ない。今回も、収録だから、カットカットして、放送できるけど、曲の合間などに、放送できないようなことを平気で言っている。」と話していました。にっきさんが出る前の週のゲストがパパイヤ鈴木さんだったそうで、「パパイヤさんのときもそうでしたが、放送時間よりずっと長くしゃべっていたのを、カットして、30分にして、放送しているのは錦織さんも同じ。」だったそうです。にっきさんは「自分は、その時間だけしゃべるよりも、長くしゃべって、カットされて縮めるほうがよいと思っている。」と言っていました。パパイヤさんからのにっきさんへの番組を通しての伝言は「人が電話したら、折り返し連絡してほしい。」というものでしたが、それをきいた錦織さんは「あいつは、おれが電話しても、出ない。(坂見さんも、そうそう、出ない。とあいづち。)なにか、やっていて忙しいらしい。」と話していました。
昨日の坂見誠二さんの番組でにっきさん、とても元気に笑って、おしゃべりされていました。(先週につづき2週連続でゲスト出演されたそうです。)実況レポートしたかったのですが、家のラジオに妨害電波が多くてちゃんと聞き取れませんでした。(涙)坂見誠二さんのやっていらっしゃるブログにも、少し番組のことが出ています。http://blogs.yahoo.co.jp/d_tracks2000/13570785.htmlまた、番組HPにもすこしお話の内容がupされていました。http://www.tfm.co.jp/dance/index.html
あべっきーのレッツらGo!のコーナーは、最初、ベッキーと阿部哲子アナとインパルスで東京ディズニーシー散策だったのですが、あとからヒガシ君が加わって、最後にふさわしく(?)遠足のようになっていました。ディズニーシーの、作ってある水路を舟(ちゃんと漕ぎ手のお兄さんがいて、舟を漕ぎながら「サンタ ルチア」を歌ってくれました。)でくだっていくところがあったのですが、橋の下を通るとき、その漕ぎ手のお兄さんが「あの橋の下を通るとき、願い事をすると、かなうと言われています。」と言ったので、ひがしくんたちはなにを祈るか考え始め・・・→インパルス堤下さん「もっと早く行ってくれないと、通るときまでに思いつかない。」 ヒガシ君「ベッキーは、願い事だったら、はやく彼氏ができますように、だな。」→ベッキー「よけいなお世話ですよ! 東山さんの願い事は、はやく彼女ができますように。」→ヒガシ君「ぼくは、この歳になると、願い事は、”健康”。」(おじいちゃんみたいなことを言うヒガシ君でした。)それを受けてインパルス板倉さんも「健康」。橋の下をとおったあと、なにを祈ったのか聞かれて、ひがしくんは「健康」とまた言っていました。舟下りのあとは、ディズニーシーの中にある有名なレストラン「ミラ コスタ」の奥にある、貸し切りのお部屋を借り切って、5人で豪華なディナー。ヒガシ君が予約していたようで、「さぁ、どうぞ、」と自分の家を案内するように、席にみんなを案内していました。あまりに豪華なお部屋で豪華な料理なので、ベッキーたちは感心していました。料理は一品ずつ紹介され、板倉さん「野菜がひとつひとつうまい。」テーブルについてから、この前上海紀行のときにやっていたように、ものまね合戦をはじめた5人。(上海のときはドナルドダックのまねで、あべちゃんが一番似てないということでレストランの代金を払わされていました。)今回のお題は「ミッキーマウス」。ヒガシ君もミッキーのまねをやっていましたが、ベッキーがうまくて、ヒガシ君「さすが、レギュラー10本やっている人はちがうね。」とほめていました。(ヒガシ君は着ている黒のTシャツにも胸のところに大きいミッキーのプリントあり。)食事が終わってから、ヒガシ君が腕時計をみるふりをして(腕に時計はなし)「さ、そろそろ時間かな。」と言って、そのままミラコスタのバルコニーにいくと、夜のショー「ブラヴィッシモ!」が始まりました。花火やライトがとてもきれいで、画面でみていてもうっとりするほどみごと。見終わった後、ひがしくんは、「あ〜〜、なーんか、(感動してしばらく考えてから)来てよかったと思う。」→となりにいるインパルス堤下さんをみて「ふつう、こういうショーをみたあとは、チューとかするんだよ。それなのに、今、ぼくがショーがおわってとなりをみたら、君がいた。」そのあと、スタジオにカメラが戻ったら、堤下さん「あのあと、ロケが終了して、東山さんに電話をかけたら、「今、おみやげ買っているんだ。」と言って、ぼくがずっと携帯を鳴らしているのに、出ない。(ぷんぷん)ほんとにディズニーがすきなんですね。」→ヒガシ君「あのあと、(腕に時計がなかったので)ほんとに時計を買いました。」と言っていました。
スタジオに、東京ディズニーシーから、ミッキーミニーとディズニーアンバッサダーの西川さん(女性)が来て、音楽にあわせ、簡単なふりつけで踊ってくれました。ひがしくんたちは、ミッキーカチューシャとミッキーの手と同じ白い大きい手ぶくろをはめて、一緒にふりをやってくれたのですが、とってもお茶目でした。(みていて思わずみんな微笑んでしまったのではないでしょうか。)ヒガシ君は、踊りが終わってから、ミッキー、ミニーの間に入って両者の肩をもち、「少年隊に入ってくれないかな。」と声をかけていました。スタジオの堤下さんたちが、「少年隊に入ると、はなやかに盛り上がりそうで、いいね〜。」というようなことを言っていました。男前な女の人数人をスタジオに招いて特技を披露してもらうコーナーでは、ボディビルをずっとやっていて、フィットネス歴も長い女性にきてもらって、いつも食べている食事(野菜などをゆでて、寒天のようなものでかためたものなど。きれいなのですが、味はつけていないそうで、試食したベッキーが、板倉さんに「味は?」と聞かれて「・・・うん。」と黙ってしまいました。板倉さんは「黙ってしまったところで、味がわかりますけれども。」フィットネスの披露では、鍛えた筋肉を存分に使って、激しい感じのフィットネスをやっていたのですが、先週に引き続き、インパルスの堤下さんがその披露中に飛び入りして一緒にフィットネスを始めました先週、レポしそこなってしまいましたが、3人の男前ウーマンのうちもう一人は、エアロビクスをかなり長時間スタジオで披露してくださり、堤下さんはがんばって一緒に踊ったのですが、わざとおへそを出すトレーニングウェアを着てやったので、(今週も同じようにおなかが出るウェアを着て参加)ひがしくんたちがみて笑っていて、終わったあとの感想ではひがしくん「笑・おなかがね。」 ベッキー「みているとおなかのところ、スーパーボールがはずんでいるよう。」と言っていました。今週も、堤下さんは苦しそうにしながらも、ちゃんとふりをまねて一緒に最後まで踊ったので、終わったあとひがしくは「みてすぐできるなんて、植草みたいだ。」とほめていました。そして堤下さんに「毎週やったら、(トレーニングに)いいんじゃない?」と言っていました。堤下さんは苦しそうに息をしながら「毎週。はい。」と返事をしていました。男前ニュースはもりだくさんで、miyaviの話題から、赤西くんがカメラマンになって、山下君を撮っているところ、毎週恒例の藤岡弘さんが、夜通しディスコみたいなところで「踊り明かそう」というようなことを言ってもりあげようとしているところなどが映りました。藤岡さんの様子をみていた板倉さんは(毎週「これ、まさに武士道なり」が恒例だったので)「あれ、武士道じゃないですよね「夜通しもりあがろう」って。武士道忘れてる。」とつっこみを入れたので、ひがしくんたちは笑いをこらえていました。
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